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「ここで一番にならないといけないんだ」。7年のときを経て限りなく近くにつけた、いま。須貝龍は、在りたい自分であり続けるために、未知の世界に挑む。
須貝龍という名と、スキークロスというスポーツが瞬く間に日本中を駆け巡ったのは、4年前の冬のこと。
「悔しかったです。やっぱり。1回戦で負けるなんてまったく考えてなかったから。でも、あの北京があったから、いまがあります。あとは一番になるだけなので」
強い瞳で語った。2025年の世界選手権で日本スキークロス史上初の銅メダルに輝き、W-CUP第12戦では2位まで詰めた。須貝龍はいま、スキークロス界の頂点に最も近い男だ。

出身は新潟県胎内市、スキー好きな両親のもと2歳で滑り始めた。
「てっぺんから一直線でボトムまで滑り降りて、パトロールに捕獲される子でした(笑)。将来はアスリートになりたいって、中学生くらいから意識してました」

子ども時代から体が大きくて強かった。速さも規格外。高校卒業後アルペン選手としての活動を本格化し、国内では断トツの強さで2014年に全日本チーム入りを果たす。その過程でクレブの所属となった。

「19・20歳の頃、夏の間はクレブでアルバイトしていたんです。楽しかったですよ」
須貝龍とクレブの絆の始まりはここからだ。

須貝龍は、2018年まで海外に拠点を置いてFIS W-CUPの高速系種目で戦っていた唯一の日本人だった。2018年、W-CUPポイントも初めて獲得したが、平昌五輪の出場は叶わなかった。そんなとき、全日本コーチの皆川賢太郎から「スキークロスをやってみないか」という声がかかった。
「じゃぁ4年間だけやります!って言ったんです。平昌を逃した、でもオリンピックには出たい。だからスキークロスに転向して4年でメダルをとって、好きなアルペンに戻ってこようって。それが当初の計画だったんですけどね(笑)」
そこまでアルペンにこだわる理由はなんだったのか。
「スピードです。僕、スピードが大好きなので。それと環境的に世界とは大きな差があって限界を感じていました。スキークロスなら万全のチーム体制でやれるという条件にも惹かれました」
限られた時間と資源をいかにうまく使って夢に近づくか。須貝龍にとって金メダルへの最速のライン取り、それはスキークロスという取引だったのだ。
「でもスキークロスなんてそれまで一度も見たこともなかったんです(笑)。だから初めてのことだらけ。スタートの仕方すら知らなくて、いきなり試合で、全部ぶっつけ本番でした(笑)」
しかし、転向後1年を待たずに初めてのW-CUP戦で15位。アルペンで培ったスピードと高い滑走技術は世界トップを狙うに不足ないどころか、須貝は持ち前の爆発力で、瞬く間に世界でマークされる存在となった。

須貝龍にとってスキークロスの魅力とはなんだろう。
「勝てない選手に勝てること。単走では体が大きいほうが圧倒的に速いけれど、スキークロスはそれを戦略やデータ分析で補える。駆け引きです。いま表彰台に上る選手は190㎝・100㎏超えが普通。僕は177cm、ないものを補うために工夫するんです。だから常に速くなることを考えて生活していますね」
須貝は世界トップの選手たちの詳細なデータを収集し、深く分析する。得意・不得意・クセ・レース結果やコースデータとも合わせて数値化する。確率的に見ることで客観視し、冷静な対処や戦術につなげるのだ。
「分析から導いた戦略に必要な体力やテクニックをつけて、雪上で試して正解かを確かめる。そのトライ&エラーをずっと繰り返してきました」
須貝の成長と強さの背景には、こんな工夫があったのだ。もちろんそれだけではない。
「純粋にすごく楽しいスポーツなんですよ。ジャンプありクラッシュありのエキサイティングなヒートは、アトラクションみたいな感覚なんですよね。それに、この瞬間に自分がいま一番だ、とか遅れてるのがわかるのが面白い。アドレナリンが沸きますね」
「自分が楽しいと思ったことや、自分がやると決めたことを反復するのはすごく得意なんです。自分なりに分析して仮説を立ててトライしているので、何回も反復しないと検証ができないから。他人に言われたことは、自分の頭でしっかり考えてやってきたことや実証したこととは重みが違う。そういう意味で、僕、あんまり人の意見を聞かないんだと思います(笑)」
須貝の所属するチームクレブを立ち上げ、アルペン時代から須貝をサポートしてきたクレブ代表の岸野大輔さんはこんなふうに語った。
「須貝選手がすごいのは、常に客観的に自己を分析し、必要なことに向かって工夫し、自ら行動する点。自己のマネジメントを徹底して確実に課題を達成するだけでなく、高いレベルで設定目標を超えること。そして、とても家族や仲間想いで人間性が高くて、アスリートとしてだけでなく人としてカッコイイ。自然とみんなが応援したくなるんです」

ここまで須貝龍を強くしてきたものはなにか。
「高校生のとき、大学にいった先輩たちを見ていたら、自己管理をしなきゃいけない世界に入るタイミングで、それに失敗してスキーが遅くなった選手がたくさんいた。それがカッコよく見えなかった。僕はこれからも自分の思うカッコいい位置にいたいと思ってヨーロッパに行くことを選択してやってきた。カッコよく速く滑れる選手でありたいというのは高校生のときに思った純粋な思いで、それがずっと原動力になっています。今でも。

怪我もあったし、トレーニングが思うように進まない時期も長かったけど、今年の世界選手権では自分を信じて滑りきることができた。高校生のときに思った理想の自分にはまだ完全には到達できていないかもしれないけど、そのライン上にはいられてるんじゃないかなと思っています。
もちろんミラノで金をとりたいし、W-CUPの総合優勝もしたい。優勝を重ねていく選手にもなりたい。目標はたくさんあります。手に入るかわからないものに挑戦するのは楽しい。
僕、実は努力するという言葉はあまり好きじゃないんです。『情熱は努力に勝る』と思っているから。心からこれをやりたい・好きだって気持ちは、努力だと思ってするより強いなと。情熱があれば夢中になったり、情熱があれば大変なことも工夫して楽しいことに変えられる。息子たちにもそういうことのできる強い子になってほしい」

愛息の話になるとパパの優しい笑顔がこぼれる。
「子どもたちにはいつも癒されてパワーもらっています」と嬉しそうだ。大切な家族のためにも、応援してくれるたくさんの人々のためにも、須貝龍は、決戦の冬へと挑む。

[Profile]
須貝 龍 Ryu SUGAI
1991年生まれ、新潟県胎内市出身。クレブ所属。海外を拠点にFISアルペンレースを転戦後、2018年にスキークロスへ転向。 W-CUPで何度も表彰台にも上がり、2025年世界選手権銅メダル獲得。世界の頂点を争うトップアスリート。
※ Xraeb book「And Snow Vol.4」(2025)より抜粋